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第一回目 山梨、静岡、小田原方面編
(2001年春 3月)
まえがき
店主のこれまでの探訪記を少しづつ載せていきたいと思っております。
今後さらにニホン各地の旅行足跡をUPして参りますので、これから行かれる方には、探訪ポイントや日程配分についての参考として、少しはお役に立てるかも知れません・・・
場所は比較的メジャーどころ(基準は不明・・)が中心となっています。また、基本的に戦国・歴史にまつわる内容となっておりますが、店主の趣味で寺社やら、ミステリーなどの寄り道があったりしますので、さらっと軽いノリで読んで頂けますと幸いです。
近県での日帰り若しくは1泊旅行に飽き足らず、本格的に探訪旅行に打って出るのはこの年(2001年)からでした。
当時はお金もなく、カメラも全然気にしてないし(インスタントカメラもよく使ってました)、ご当地の名物を食べ歩くなんてなかなかできませんでした。
しかし、基本は高速道路を使わない(場所が遠くなればなるほどツラく・・・・)、車中泊というルールは、なぜか定着してしまっております。
購入する車を選ぶときも、旅行のときに足を伸ばして快適に寝れるクルマ、なんて思いながら決めたくらいだし。。。(今までの旅行は全てクルマ旅行です)
さて、まず手始めは山梨メインの武田旅行からです。
第一回目の重点ポイント
〜一日目〜 宮城→福島(千貫森)→埼玉(吉見百穴)→甲斐大和(道の駅)
宮城を出てから福島の千貫森(ピラミッド?伊達政宗が二本松やら大内定綱を攻めてた際によく麓を通ってたらしい・・)登山(UFO道です)で一汗かき、夕方に埼玉の吉見百穴(コロポックルが住んでた?)へ到着するも時間切れで入場できず。
その日のうちに山梨入りしようと、16号線を南下して甲州街道を西進。初日は甲斐大和の道の駅迄。
〜二日目〜 山梨(景徳院、大善寺、山梨岡神社、躑躅ヶ崎館、積翠寺、大泉寺、
法泉寺、恵林寺、菅田天神社、雲峰寺、天沢寺、にらさき(道の駅))
3月終わり頃でしたが朝、目覚めると車内の窓という窓が凍っておりました。ワイパーをかけてみるとなにやら違和感が(なんかスカってる)。。理由は中から凍っていた為です。流石標高1000m。
とりあえず最初は付近にある景徳院へ。
ここは武田勝頼、信勝、北条夫人の墓石、辞世の句碑、勝頼公生害石がある。
武田勝頼親子之碑(辞世句碑。反射が。。) 武田勝頼親子之墓所(景徳院)
勝頼公生害石(天正10年3月と書いてあります) 景徳院山門
そして付近にある大善寺へ。
 大善寺
(武田勝頼主従投宿の地。。武田の終焉ですね。。
)
その後、市街地へ向かって盆地の中心へと下っていき(甲州街道から山梨中心部へ向かって行くと本当に山に囲まれた(盆地)場所なんだなぁー、と何故か感動しました。)、山梨岡神社(石森山)へ。(巨石や磐座等も全然アリなので。)
周囲が平地なのに、そこの土地だけ奇岩が積み上がった違和感ばっちりの場所が山梨岡神社です。逆にいうとこの部分だけを残したのかもしれませんが。
奇岩や巨石も見ていてホントにおもろいです。
石森山の奇岩群を堪能したあと、いよいよ躑躅ヶ崎館へ!
春休みシーズンということもあってか、観光客でごったがえす躑躅ヶ崎館。
流石、”人は石垣、人は城”と信玄公も言われたように、えらい人手で賑わっていました。(意味は違うかもしれませんが・・)
本殿を参拝すると、"庫裡の鬼瓦"や"本堂鬼瓦"なるデカい武田菱入りの瓦がありまして、いやー、イケてる、イケてるわ。と、しばし見入っていました。
ちなみに口を濯ぐところも武田菱デザイン。
宝物殿(拝見料・大人300円)には武田二十四将図や信玄公の軍扇等のお宝。
そして二十四将テレカ(今となってはテレカを使う機会も場所も少なくなっておりますが、未だにお土産物の定番(在庫限りか?)として、まだまだ手に入る場所は沢山あります。)と、武田二十四将徳利を購入し、付近の探索へ。
北へ向かうと積翠寺があります。ここは信玄公生誕地らしく、産湯の井戸がありました。
 信玄公産湯の井戸 信玄公の墓(場所が分かりにくい?)
武田神社からほど近く、南東方向にちょいと行くと円光寺があります。そしてちょっと付近を探索すれば、信玄公の墓がありました。多少、場所が分かりにくかった思い出が。。
そして大泉寺から西側へ戻って法泉寺へ。大泉寺には武田三代(信虎、信玄、勝頼)の墓があったのですが、写真はとっておらず。
 勝頼公の墓(法泉寺にて。なぜかこのアングル。。)
その後恵林寺へ。
恵林寺といえば快川和尚ですね。心頭滅却すれば火もまた涼しです。
写真では細かすぎて見えませんが、山門には滅却心頭火自涼(左側)
安禅不必須山水(右側)と書いてあります。信玄宝物館もあるのですが、自分が行ったときは入れなかったと思います(何故かは思い出せない。。)。
恵林寺山門 こちらも信玄公之墓
恵林寺隣りには当に戦国の巨獣が如く信玄公がどっしり座っておられます。
 信玄公之像(付近の土産屋)
土産屋でほうとうが売っているのを見て、一遍食べてみたいと思いながら菅田天神社へ。是非とも盾無(小桜葦威鎧)を見たいと思っていたのですが、事前アポがなけ
れば観覧はムリだったようです。。無念。。
気を取り直し、もう一つの家宝である御旗を拝見しに雲峰寺へ向かいます。
雲峰寺ではしっかりと御旗、孫子の旗、諏訪神号旗、馬標旗を拝見できました。いやー、それはそれは、その年季とスケールを感じさせられましたですねぇ。これは国宝にも指定されるわ、と思いながら、大変に感動致しました。その前に盾無見学で断られてることもあり、喜びもヒトシオです。しかもその時、ご住職とちょっとおはなしをさせて頂いたのですが、偶然にも同じ宮城出身だった(と記憶してます)のでちょっと地元トークで盛り上がりました。
ここまで来て休憩しようと、雲峰寺の近くにある茶屋で一服し、山県昌景関連で天沢寺へ向います。
けっこう山を上ったのどかなところだった記憶がありますが、見事に飯富兄弟+親父(道悦)の墓と顕彰の碑を発見!
飯富兵部少輔虎昌公、山懸三郎兵衛尉昌景公顕彰碑
ここまでで大分日も暮れてきたので、とりあえず信玄堤があったであろう場所へ。
堤を歩いたりしているうちに夜になったので、とりあえず風呂探しに切り替えることに。
地図で温泉と道の駅を探してみると、にらさきの道の駅付近に穴山、幸福という2つの温泉マーク発見!どっちも捨てがたいが。。ちょっと顔の吹き出物を連想しながら穴山温泉へ!(横山漫画で育ちましたので・・)
さっぱりと汗を流し、その日恵林寺隣の土産屋でホウトウを見かけたことを思い返し、、ホウトウ鍋が食べたいながらもにらさき付近の弁当屋でメシを済ませ、車内で酒盛りしながら二日目就寝。。
〜三日目〜 山梨(大石神社)→静岡(駿府城公園、久能山東照宮)→小田原
この頃は本当に貧乏旅行だったので、朝はコンビニで食パンとミートボールを買い、暖めてもらって食べてたりしました。
朝からえらい巨石があると云われる大石神社へ。しかし、、事前調査である程度の場所は分かっていたものの実際どこにあるのか全く分かりませんでした。仕方なく付近の梨畑?沿いをトロトロ運転しながらキョロキョロしていると、向こうの山の麓になにやら鳥居っぽいもの発見!ということで行ってみると、まさしく大石神社でありました。
1枚目の写真でその大きさが分かると思いますが、かなり巨大ですね!また、5段目左の写真ですが、谷になっている部分に巨石がゴロゴロ転がって川のようになっているのです。写真ではなかなか伝わらないでしょうが、エライ感動でした。
写真をとりまくって満足し、山梨をあとにすることに。
富士川沿いの52号線を南下して駿府入り、駿府城公園へ。
駿府城内は完全に公園となっており、昼どきには沢山の人が休憩している姿が見うけられました。
その後海の方に出て久能山東照宮へ。久能山は古くは推古天皇の時代に開山されたのですが、信玄公が駿府を占領した際に(永禄11年:1568年)山上に砦を設け久能山城となり、その後徳川の御世に東照宮が建てられたそうです。
資料によると1159段あるという石段を登るのはなかなか骨が折れますが、上ってみると駿河湾が一望できます。見晴らし良い。
石段を登る途中には、山本勘介に由来のあるらしい勘介井戸もあります。
山頂にある権現造の御社殿や楼門など、極彩色でなかなか豪奢です。流石神君を奉る場所です。
久能山より駿河湾を望む 勘介井戸
山頂に鎮座まします神廟 境内にあった三ツ葵入り水甕?(なんかアツい)
博物館もあり、国宝の太刀(銘 真恒)や、神君召料の金陀美具足やら、南蛮物、そしてやたらとイケてる徳川慶喜の陣笠等があります。
その後清水湊廻りで箱根方面へ進発。
夜になっていたので早雲寺を横目に過ごして小田原城に到着。付近に適当な道の駅が見つからなかったので、しょうがなく小田原漁港で就寝。
〜四日目〜 小田原
朝から小田原登城です。
小田原城 銅門(二の丸の表門) 小田原城 常盤木門(正門)
小田原城天主
小田原場内には、歴史見聞館というミュージアムもあり模型や映像も楽しめます。
(天守閣、見聞館共通券600円※資料ヨリ。なぜか自分は割引券540円で入ったようですが・・)
記憶では、北条家累代の領土分布ジオラマみたいなのが記憶に残ってますね。
それからミュージアムの外には、銅門土塀の工法が分かる模型があります。
銅門土塀の模型
結構早足でしたが、第一回目の旅行もそろそろ帰途につくことに。途中千葉に用事があって立ち寄りましたが、五日目に水戸に寄ってから宮城へ戻りました。
なにやら石の画像が多いですが・・ともあれ、これ以降も旅行にハマっていくのでした。
第二回目 長野方面編へつづく・・・
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