探訪記第三回
 

第三回 東海・中部編

(2001年夏 8月)

  



  

まえがき

  

夏の盛りに一人旅、、今回は2001年夏のアツい思い出を書いております。

やっぱし供連れもいいけれど、一層悠々自適に行動したいナァーということで一人クルマ旅行を決行したのが2001年夏でした。
東北に戻る間際のラストチャンスでもあったし、場所が近いうちに行っとこうというのもありましたが。。
というわけで、武田信玄西上の夢を追う、第三回 東海・中部地方篇になります。


第三回目の重点ポイント

第三回目の重点ポイント

〜一日目〜  静岡(小山城、高天神城、川根温泉(道の駅))

昼前に熊谷あたりから出発し、407号線を南下し入間から16号線に乗る。そっから八王子街道→246号線ってルートで東海道へ。ホントに、ここまで南下すんのも一苦労ってやつですね。昼間はさー。とか独り言もありながらひたすら走る。
そして駿府の地も横目にしながら、まず最初目指していたのは当時の大東町(2005年に掛川市と合併したようです)にある高天神城です。
もう、このあたりから西側にある拠点は武田家の悲願である上洛への道程から終焉に至るまで、歴史の舞台となった場所ばかりなので、エピソードには事欠かない場所ばかりですよねぇ。
駿府城を抜けたあたりから、もう気分が高揚しまくっていたのを思い出します。

高天神城を目指すのに、ちょっと海沿いの方を走ろうと150号線に乗ったところ、なにやら城が見える・・・

というわけで、思いもよらず小山城を発見したのでした。
こういうサプライズも旅の醍醐味でありますが、初っ端からってやつですね。


小山城

三日月堀から模擬天守。


小山城-入口

模擬天守の入り口から。下から見るとこんな感じ。


小山城-勘介井戸

なにやらここにも勘介井戸が・・・ ※看板のみ撮影、、井戸跡だったような。


はっきりいって小山城のことは全くノーマークであり、良く知らなかったのですが、施設もあるようだしこの機会に勉強しようと。
まぁまぁ、案の定月曜定休で入れませんでしたが・・・

それじゃあ立て看板を見てみましょう。


小山城-看板

ふむふむと。元亀二年ですから、北条と同盟した信玄が本格的に西上準備にかかり、三河の牽制をしてた時期ですよね。

 小山城 展望台施設・史料展示室
  ■開館時間:9時〜16時
  ■休館日:月曜日(月曜が祝日の時は翌日休)
  ■観覧料:大人200円、小人100円
  ■駐車場:無料 200台

施設に入れなかったのと、先は長いというのでそうそうに小山城を退去。


そして、高天神城を目指す途上でまたもや発見。


うたたねの松

説明書きを見ると、天正二年(1574年)勝頼が軍を進めて休憩した所とあり、うたたねの松と名付けられているようです。
ちょっと正確な場所は忘れてしまいましたが、高天神城から東方面にある学校付近だったような・・・

そしてもうひとつ。


勝頼本陣

天正二年武田勝頼高天神城攻めの折、ここに惣勢の本陣を置く、と書かれております。こちらもうたたねの松付近だったような・・・

いろいろと発見がありながら、高天神城へやっと到着した頃にはもう夕方になっておりました。日が落ちないうちにと、ダッシュで駆け上っていった記憶が・・


高天神城

高天神城跡の碑。もうすっかり夜。。。


高天神城本丸址

高天神城本丸址です。

じつは最初城内に突入したときはまだ日が暮れかけだったのですが、焦りがあったせいか写真を撮り忘れていたことを坂道を下り際に気づき、またダッシュで戻って撮ってきたのでした。

過去にも時間の関係で、城攻めしてるうちに日が暮れたり、お墓で日が暮れたりしたことはありましたが、周りが閑静な山城でもあるせいなのか、それとも過去に幾度となく行われた血で血を洗う戦のせいなのか。日が落ちた後の高天神城は、ちょっとはやく退散したい気持ちになりました。。。

次の日は朝から掛川城というのは決めましたが、地図を見ても周りに道の駅が見つからない。。適当に付近を探索しておりましたが、時間もたっぷりあるし、もうちょっと地図を広げてみるかと。そうしたら、1号線をちょっと東に進んで大井川をつたって北上すると、川根温泉という道の駅を発見。朝一の目的地から2,30キロなんて、たいした距離でもないので、一日目は川根温泉で就寝。


〜ニ日目〜 静岡(掛川城、二俣城、三方ヶ原古戦場、浜松城、龍潭寺)→愛知(長篠、鳳来三河三石(道の駅))

NHK大河でおなじみ。山内一豊掛川城へ朝一で。
自分が訪れた時は2001年だったので当然街の中心に天守がそびえておりましたですが、掛川城天守は1994年の復元だそうです。


高天神城-大手門

掛川城の東南方向、クルマを停めた場所の付近に大手門が。


高天神城

掛川城は、日本初の本格木造天守として復元されたというのがウリです。美しさにこだわったというだけあって、実際、綺麗なものです。

城内に入ると、ミニ山内一豊像が飾られてました。


掛川城

登城口から掛川城天守を臨む。

天守の他にも、御殿や二の丸美術館、茶室といった施設があります。
二の丸御殿は江戸期の現存であるとのこと。

 掛川城天守閣
  ■開館時間:9時〜17時(入館は16時30分まで)(2月1日〜10月31日)
          9時〜16時30分(入館は16時まで)(11月1日〜1月31日)
  ■休館日:年末年始(12月30日から1月1日まで)
  ■入館料:大人300円、中学生以下150円(天守閣・御殿)
         大人400円、中学生以下200円(掛川城・二の丸美術館のセット券)

 掛川城御殿
  ■開館時間:9時〜17時(入館は16時30分まで)(3月1日〜11月31日)
          9時〜16時30分(入館は16時まで)(11月21日〜2月末日)
  ■休館日:年末年始(12月30日から翌年1月1日まで)
  ■入館料:大人300円、中学生以下150円(天守閣・御殿)
         大人400円、中学生以下200円(掛川城・二の丸美術館のセット券)

 二の丸美術館
  ■開館時間:9時〜17時(入館は16時30分まで)
  ■休館日:月曜日(祝日は開館)、祝日の翌日、展示替え期間、 年末年始(12月28日から翌年1月3日まで)
  ■入館料:大人200円、中学生以下100円

 二の丸茶室
  ■開館時間:9時30分〜17時(入館は16時30分まで)
  ■休館日:第4月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜1月3日)
  ■入館料:一般500円、中学生以下250円(※呈茶サービス含む)


掛川城でお茶は飲みませんでしたが、次の目的地は徳川信康二俣城と決め、県道伝いに西上致します。


二俣城址

本丸天守台。

二俣城では、かの有名な悲しいエピソードがありますね。。。
武田への内通疑惑をかけられた家康の正妻・築山殿と嫡子である信康が、信長の指図によって切腹を命じられ、信康が自刃したと。

その信康の墓が二俣城付近の清瀧寺にあります。


清瀧寺-井戸櫓

こちらの井戸櫓は昭和37年に再建されたものだそうですが、二俣城廃城の際、井戸櫓がこの清瀧寺に移築されたそうです。
二俣城といえば、井戸櫓から釣瓶で天竜川の水を汲んで、、、という武田軍二俣城攻めのハナシも有名ですね。


信康廟

信康廟入り口。


清瀧寺内

信康に殉死した吉良於初、当時の二俣城大久保忠世三方ヶ原で討死した中根平左衛門正照青木又四郎吉継の墓(清瀧寺


信康廟

信康廟の門。


清瀧寺内

清瀧寺内。

信康公を偲ぶ沢山の方々によって守り続けられているという印象の清瀧寺でありました。

二俣城の次は、当然浜松方面に向かいます、いざ三方ヶ原古戦場へ。


三方ヶ原古戦場

嗚呼、この付近で神君が馬上で脱糞しながら逃げ帰ったのかや。と、しばし夢想しながら、次はその家康が逃げ帰った浜松城へ。


浜松城

浜松城-石垣

『これは四百年前の家康築城の頃の面影を残す貴重な石垣です。登ったり石を引き抜くことは絶対にしないで下さい。(浜松市)』 とのこと。


浜松城-徳川家康像

浜松城内にある、『若き日の徳川家康公像』です。

 浜松城
  ■開館時間:8時30分〜16時30分
  ■休館日:12月29日・30日・31日
  ■入館料:大人150円、中学生以下無料

浜松城、、、中学生以下無料というのがウレシイですねぇー。自分が行った2001年当時は中学生100円、小学生50円だったのですが、無料となったようです。

また、浜松駅から浜松城までの街灯の最上には、家康兜印の「羊歯(しだ)」があり、この羊歯印に沿って行くと浜松城に辿り着くことができます。(浜松城公式HPより)
羊歯は若き日の家康像が右手に持ってる印デス。
城内の展示室には、当然のように歯朶具足がございます。また、イケてる徳川十六神将の掛軸も。

さて、次に向かうは野田城長篠方面となりますが、その途上に井伊家の地元、井伊谷がありますので、由来のあるらしい龍潭寺へ立ち寄ります。

井伊家累代の墓はもちろんのこと、実は東海一と謳われる庭園を擁する寺社でありました。また、左甚五郎作と伝えられる鴬張りの廊下や龍の彫刻があります。


龍潭寺 龍潭寺-庭園

 龍潭寺
  ■開館時間:9時30分〜16時30分
  ■拝観料:大人400円、中学生以下150円

その後国道257を北進すれば、もう長篠で御座います。

長篠といえば、織田信長という天才によって日本における火縄銃の戦術的価値が急激に高められた場所でもあり、また数多の英傑が散った場所であります。

なにしろ、横山マンガに始まり某歴史SLGというお決まりの洗礼を受けた身としては、まさしく男の星座と云うにふさわしいキラ星の如き武田のスター軍団が、これまた鬼才が放つ超新星のビッグバンとも云うべき火縄の威力によって、この長篠という土地に最期の生命の花火を散らせ、まさしく流星の如く世を去っていったという、その歴史的背景の密度の濃さが、いつの日か絶対に、行って見ておかなくては。という想いを募らせていたのです。そして遂にその時がやってまいりました。

鳳来三河三石道の駅側(国道257)から国道151に乗って西に走っていくと、左手に長篠城址が見えてきます。


長篠城址 長篠城本丸跡

長篠城址には施設もありました。が、こちらの長篠城史跡保存館もあいにく休館日。。
それはそれとして、時間も気になっていたので戦場を見に行くことに。なにしろ、この日は朝一掛川城から数えて6ヵ所目でしたので、賞味あと1時間くらいあるかという時間だったのです。

長篠城を出て西進し、のどかなローカル線の風景と並走しながら目を凝らして案内板を探します。すぐに発見した案内に従って踏み切りを渡っていくと。。。


甘利郷左衛門尉信康碑

いきなり発見しました!甘利郷左衛門尉信康の碑。
そして傍らには設楽原古戦場いろはかるたがッ!!・・・しかし、写真では切れております。。。

 ●を 雄々しくも立ち腹さばく甘利信康

そして、西側にある連吾川の向こうに馬防柵を発見!!

連吾川-馬防柵 土屋昌次戦死の碑

そうです。この小さな連吾川を挟んで対峙したのですねぇ、と馬防柵を見にいった付近に土屋昌次戦死の碑も発見ッ!!

 ●つ 土屋昌次柵にとりつき大音声 でございますよ。

なんというか、土屋昌次馬防柵にとりついている様を思わずにはおれません。
設楽原をまもる会の皆さんどうもありがとうございます。ということを思いつつテンションぶち上がりだったのは云うまでもありません。。

クルマで進入していった辻で、甘利郷左衛門尉信康の碑を発見したのですが、徒歩で周囲を探索してみれば、なんとまぁ、至るところに立て札やら石碑やら、なにより東側に丘を登ればこちらにも施設(設楽原歴史資料館)があるではないですか!しかも設楽原歴史資料館はちょっと、小奇麗な、立派な建物でした。

これはもう、とてもじゃないけど廻りきれないし、史跡保存館も入れるしってことで、翌朝一からしきりなおしのコース確定。というわけで、すぐ近くにあった鳳来三河三石道の駅に泊まることも必然的に確定したのでした。

日が暮れてきたのでその日のお湯を探すと、温泉場も付近にありました。鳳来ゆ〜ゆ〜ありいなで湯に浸かり、鳳来三河三石で就寝です。

 鳳来ゆ〜ゆ〜ありいな
  ■営業時間:10時00分〜21時00分
  ■休業日:火曜(祝日の場合は翌日休)
  ■入浴料:大人600円、小学生300円


〜三日目〜 愛知(鳳来三河三石(道の駅)→長篠→野田城)

三日目、起床して洗面支度。
この辺りも結構自然に囲まれており、朝は清清しかった思い出が。

旅行しているとき独特の楽しみというか、朝一で山城なんかに登っていって、朝っぱらから汗なんかかいたりするんだけれども、周囲の自然から漂ってくる朝の匂いが堪らなくイイ。そして、本丸から景色を眺めながら一服するってのも非常に楽しみなのです。

ハミガキしながら道の駅の立て看板を読んでみると、隣接している満光寺の逸話が。なにやら、武田軍に追われた若き日の徳川家康が、この寺に宿をとり朝鶏がいつもより早く鳴いたため武田軍の朝駆けを免れたという逸話が伝わる寺。とのことでした。朝鶏がいたかどうか確認した覚えがないです。。

支度を整え、まずは施設廻りからといきたいところでしたが、9:00〜らしいのでちょいと周囲の散策から。


内藤昌豊之碑 横田綱松之墓

武田勝頼公指揮の地

設楽原歴史資料館の駐車場から北側、すぐ目の前に天王山内藤昌豊陣地)、信玄塚があります。天王山には武田四名臣の一である内藤修理の碑が。また、その付近には鬼美濃と謳われた原虎胤の実子にて横田備中高松の名跡を継いだ横田綱松の墓もあります。また、後方にある本陣から勝頼が出張ってきて修理とともに指揮をとった場所らしいです。

 
長篠合戦陣歿者供養塔


また南側に戦没者供養の為の信玄塚があります。戦死者の多かったと云われる激烈を極めた戦闘で、約6000人の死者が出たと云われておりますが、周囲至るところに石碑が建っている様を見れば、この武田方戦陣地の丘陵全てが墳墓なわけだと痛感します。(写真は長篠合戦陣歿者供養塔
しかし、当時既に亡くなっていたにも関わらず信玄塚という名称が付けられているということは、イメージとして武田軍=信玄という認識が強かったためなのでしょうか。

原昌胤の碑 山縣三郎兵衛尉昌景の碑

山縣甚太郎昌次、従士名取又左エ門の墓

信玄塚から南に見える畑(?だったような)の脇の畦道を、案内札に従い歩いていくと、林の中には原隼人佐昌胤の碑、そして元祖赤備えにして個人的にイケてる度MAXの山縣三郎兵衛尉昌景の碑であります。また、昌景の墓に並んで山縣甚太郎昌次従士名取又左エ門道忠らの墓も。


小幡上総介信貞之墓 山縣昌景の墓

信玄塚周辺に小幡上総介信貞之墓と小さい山縣昌景の墓。小幡上総介信貞は一説としてはここで死んだというハナシもあるそうです。また、山県昌景の墓に関しては、以前はコチラだったのかどうなのか分かりません。

首洗池 首洗池

信玄塚から東側に降ると首洗池があります。また、こういったユカイな仲間達がひょこひょこ歩いていました。

そんなこんなで、ちょっと周辺を歩いただけでも一喜一憂していたので既に日は大分昇っており、ひとまず設楽原歴史資料館へ向かうことに。

資料館では火縄銃や地元のまつりである火おんどりの紹介等もありました。
そしてここで設楽原布陣図(原本 長篠日記宗堅寺本)を入手。(いくらだったか忘れた・・)

 設楽原歴史資料館
  ■開館時間:9時00分〜17時30分(冬季は17時)
  ■休業日:月曜(祝日の場合は翌日休)、年末年始
  ■入館料:一般300円、小学校4年生以上中学生100円
  ※小学3年生以下無料ってのもなかなかうれしいすなぁ。


長篠城址 長篠城本丸跡

そして今度は長篠城址史跡保存館へ。こちらではいろいろと史料が販売されており、本当は全部欲しかったのですが、なにしろ本当に貧乏旅行でございましたのでそれもかなわず・・山県昌景公とその子孫という小冊子(たしか300円だったような・・)のみを購入。無念ナリ。(他にも内藤修理の本とかいろいろあった記憶が。)

 長篠城址史跡保存館
  ■開館時間:9時00分〜17時00分(入館は16時30分迄)
  ■休業日:火曜、12月29日から1月3日まで
  ■入館料:高校生以上210円、小・中学生100円


馬場信春殿戦忠死之碑 馬場信春(房)の墓-看板

長篠城址より西方、民家付近(?だったような・・)にある馬場信春殿戦忠死之碑。
不死身の鬼美濃の最期、戦死の地は甲府へ逃れる勝頼の殿軍を務めたわけですし北東方面にあるのですが、こちらは首塚といわれる場所だそうです。

ここから医王寺へ。

山縣三郎兵衛息継ぎの井戸 武田勝頼本陣跡(医王寺)

医王寺-山門

医王寺長篠城攻めに際に本陣が置かれた場所だそうです。
また、左上写真は付近にあった山縣三郎兵衛息継ぎの井戸です。口伝とのこと。

と、ここまで巡っているうちに、またもお天道様がさよならしそうになっておりました。結局一日中長篠にいたのにも関わらず、全然廻りきれていない現実。。。
皆さんも、長篠探訪の際はそのボリュームにお気をつけくださいまし。

ここでちょっと現実に戻り、先(今後の日程)のことを考えることに。。
『現在3日目であり、その3日目というのももうじき終了するわけで、4日目には此処ココには行っておきたいし、あれこれ。と、アタマを巡らせておったのですが、流石に全部まわりきれなかった訳だけれども明日もここにおってはならんのではないか。また来りゃいいしネ。』と、切り替えることにしました。そして、次の行き先を岡崎城へと決めたのですが、岡崎城周辺は道の駅がないのでやっぱり今夜も満光寺に泊まり決定(二連荘)と。それから、通勤時間帯に国道走って混んだらやだナーとも思ったので、日が暮れる前に野田城に行ってみることにしました。

野田城址

国道151号線を西へ数キロ走ったあたりに案内看板発見!、、、したのですが、どうやらこの藪の中に城址があるようだなーと。いった感じで、正しい登城ルートが良く分かりませんでした。道路の傍らにクルマを停めて、日も暮れてきたので藪の中へとりあえずは突入!掻き分け進んでしばらくすると、なんとなく敷石のような、階段のような感じになっている箇所を発見したのです。もともと薄暗い藪のなかではありますが、上空を見上げても、もうすでに黄昏→夕闇へと色が変化しておる中、それでも突き進んでいきやっとのことで城址碑を発見したのでした。

日が暮れたのでさぁ帰ろうってことで、 またも鳳来ゆ〜ゆ〜ありいなへ。
昨日の今日って馴れた感じで受付して入浴。
そしてまさしく自分の本陣となってしまった鳳来三河三石道の駅に帰投。



〜四日目〜 愛知(鳳来三河三石(道の駅)→岡崎城→桶狭間古戦場→熱田神宮→名古屋城→中村公園→清洲城)→岐阜(織部の里・もとす(道の駅))

朝一で岡崎城。駐車場が良く分からなかったので付近の有料Pに停車する。
岡崎城のパンフレットでは、岡崎公園駐車場、岡崎公園北駐車場(双方有料)が付近にあるようです。

岡崎城は徳川家の出発点となった場所であり、家康出生の城として有名ですね。
ちなみに天守は昭和34年の復元だそうです。

岡崎城-大手門 岡崎城-本多平八郎忠勝の像

まずはいきなり大手門に厭離穢土欣求浄土の旗がなびいていたのでたまらずテンションUPしました。その大手門をくぐると、なにやら目立つ鹿角脇立を被り蜻蛉切を小脇に抱えた本多平八郎忠勝の像が。

城内の歴史資料館の他、三河武士のやかた家康館という施設もあり、ビデオやジオラマ等が盛り沢山だった記憶があります。三河武士のやかたでは、家臣団についても取り上げられていてうれしかった記憶があります。また、岡崎城には能舞台もありますね。

 岡崎城
  ■開館時間:9時00分〜17時00分(入館は16時30分迄)
  ■休業日:年末年始(12月29日から1月1日迄)
  ■入館料:中学生以上200円、5歳以上100円

 三河武士のやかた家康館
  ■開館時間:9時00分〜17時00分(入館は16時30分迄)
  ■休業日:年末年始(12月29日から1月1日迄)
  ■入館料:中学生以上350円、5歳以上200円
  ※岡崎城、家康館の2館共通の場合
    ■入館料:中学生以上500円、5歳以上270円

 岡崎公園駐車場
  ■駐車料金:乗用車100円/30分
          バス1100円/3H
  ■営業時間:8時30分〜21時30分

岡崎城を後にし、1号線をどんどん西へ。そして到着したのは桶狭間古戦場跡です。もう名古屋も目と鼻の先。

桶狭間古戦場址

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桶狭間古戦場の印象。
立地的にはクルマがギュンギュン走る国道1号線をちょいとはずれたところにあるのですが、やはり周辺が都市化しておる為、周りの風景とのギャップというか、そこだけ浮いてる的な感じがあった記憶がありますね。思い返せば住宅地の中にポツリとあった気がしたなぁーと。
また、後で知ったのですが桶狭間古戦場と伝えられる場所は2箇所存在しているようで、もう一箇所は名古屋市内にあるそうです。

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市内に入り熱田神宮へ。
こちらの御神体は三種の神器の一、草薙剣天叢雲剣)。
信長桶狭間急襲前に戦勝祈願をしたと言われておりますね。
写真は、その桶狭間での大勝後に信長が奉納した土塀だそうです。なにやら日本三大塀の一つだそうな。
熱田神宮にしても、周囲の都市部とのギャップを結構感じた気がします。
保存すべき場所は残す方針で町割りをするんだけれども、周囲がどんどん発展していくと、そこだけやけに浮いちゃうみたいな感じでしょうか。熱田神宮は木々が生い茂っているので拍車をかけてそう感じるんですねぇ。
※自分が田舎モンなのでこういう印象をうけるのでしょうが。

熱田神宮から名古屋城へ。

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名古屋城のあの薄く緑かかった瓦を見たときには、例えるならば有名人に実際会った時のような感じでした。それまでは写真やらで見ていたのが、実際見てもやっぱ同じだぁーみたいな。
広い敷地をぐるっと巡り、見どころも満載なのです。加藤清正に由来のあると云われる石垣の大石や、普請に関わった大名の刻印入り石垣、忍返しとして使われたという槍の穂が並べられた剣塀などが印象に残っております。

 名古屋城
  ■開館時間:9時00分〜16時30分(入館は16時00分迄)
  ■休業日:年末年始(12月29日から1月1日迄)
  ■観覧料:大人500円、中学生以下無料
  ■駐車場:普通車180円/30分
         大型車600円/最初の1時間、その後30分毎


その後、名古屋城の南西方向、名古屋駅の西側にある豊国神社(中村公園)で休憩。途中、えらくデカイ鳥居がありました。実はちょっと記憶は薄いのですが。。。デカイ鳥居とか結構色々な場所にあると思いますが、最近では出雲大社側の大鳥居が記憶に新しいです。(2005年・夏 山陰方面篇をご期待下さい。)

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豊臣秀吉生誕之地
と云われているらしく、石碑も建っております。
また、お隣の妙行寺加藤清正生誕地であるらしく、 慶長十五年の名古屋城天下普請の折、その余材を貰いうけた加藤清正が自分の生誕地であるこの場所に移築したというのが縁起だそうです。

豊国神社で久々にパレードなどを飲みつつ休憩し、次の目的地清洲城へ。

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清洲城は織田家の居城として有名な城であるし、歴史の舞台としては清洲会議が開かれた場所であります。家康の名古屋築城により廃城せられた(この名古屋遷都を「清洲越し」と呼び、臼引歌に「思いがけない名古屋ができて、花の清洲は野となろう」と唄われた。とのこと)のです。かつては二重三重の堀を巡らす大城郭だったということですが今現在では城の姿ともども資料が残っていないそうであります。

現在の清洲城は平成元年の復元であるだけに、すっきり綺麗な建物になっております。城内ではからくりの信長様が敦盛を舞っていたようなそうでなかったような・・・

この赤い橋(五条川)を挟んで清洲公園があるのですが、ここには信長公が桶狭間合戦に出陣する姿を模した銅像があります。

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 清洲城
  ■開館時間:9時00分〜16時30分
  ■休業日:年末年始(12月29日から12月31日迄)
  ■観覧料:大人300円、中学生以下150円


ここで一旦時計と針路確認。時間は16時をまわっていたのでそろそろ宿と風呂決めの時間になっておりました。
四日目はとりあえず清洲城で終了するとして、、、というか、やっぱしこの辺まで来るといろいろと名所だらけでどうしようという思いが巡ってしまいます。
もう、ちょっと足を伸ばすだけで至るところにスポット点在しておるので、絞り込みするしかないんですねぇ。つくづく、この地方に住んでる人っていいよなぁー。と思ってしまいます。
そして、次は大垣城朝一という事に決めて北上を開始。お湯は北上途中に適当なスーパー銭湯で済ませ、道の駅が2つ連なる157号線を目指します。
ついた頃にはとっくに夜でしたが、四日目に泊まった本巣町は茶人として有名な古田織部生誕の地だそうでした。ここでは本当に水がウマかったのと、星空が綺麗だった記憶がありますねー。



〜五日目〜 岐阜(織部の里・もとす(道の駅)→大垣城→墨俣城→岐阜城)→愛知(犬山城→小牧山→鳳来三河三石(道の駅))




前夜に何気に岐阜入りしておりましたが、五日目朝も爽やかに起床して大垣市まで南下。大垣城関ヶ原前夜を想起させるし、朝からテンション高めだったのですが・・なにやら自分が訪れた当時はスポット工事かなんかだったようで、城内の展示が見れませんでした。。。(決して休館日じゃなかったと思う・・)
なので、周りをてくてく歩いて内に篭もっているであろう三成を夢想しながらとぼとぼ帰りました。自分の場合はおびき出しての野戦には持ち込めなんだ。。

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 大垣城
  ■開館時間:9時00分〜17時00分(入館は16時30分まで)
  ■休館日:毎週火曜日(その日が国民の祝日に当たるときは、その翌日)
         国民の祝日の翌日(その日が日曜日又は火曜日に当たるときはその翌日とし、その日が月曜日又は土曜日に当たるときは、その翌々日)
         年末年始(12月29日から1月3日迄)
  ■観覧料:大人100円、中学生以下50円


大垣城攻めの失敗に気を落とす暇もなく、ちょいと東のすぐ近くにある墨俣へ。

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墨俣一夜城といえば、太閤の華々しい活躍エピソードの一つとして有名です。
本当であるとか、嘘であるとか、ディティールが違うとかいうことは良く分かりませんので、蜂須賀小六と共に筏を流して一夜城を建てたんだなーと、素直に感動する。

 墨俣一夜城歴史資料館
  ■開館時間:9時00分〜16時30分(入館は16時00分まで)
  ■休館日:月曜日(当日が祝日のときは、その翌日)
         年末年始(12月29日から1月3日迄)
  ■観覧料:大人200円、中学生以下100円


そして天下に武を布くべく?岐阜城へ。
岐阜城を見たときの印象は、傾斜と標高が結構ありそうなのと、山腹に木々が生い茂る光景にして頂上にある天守という見たこともない光景だったので、こりゃあロープウェイがあるわけだわと思った(内心はロープウェイ自体にちょっと興味津々でもある)のですが、徒歩コースもあるようです。まぁ当然か。。(こんな感じで常々せっかち気味です。説明書は見ないタイプです。。賤ヶ岳のリフトとかも当然乗っちゃう派です。)
しかし、今でこそこういった山頂に天守を見上げるという光景はなかなか見られませんが、昔は皆こうだったのだなーという感慨はありますよ。違う季節の岐阜城も見てみたくなりました。その節は徒歩で登りたいですね。

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ロープウェイ降り場から天守までの途中で一枚と、本丸井戸。
岐阜城内にも資料がありますが、食料庫を改修したという岐阜城資料館もすぐそばにあります。

 岐阜城
  ■開館時間:9時00分〜17時30分(3月16日〜7月第3金曜日)
          8時30分〜18時30分(7月第3金曜日〜8月31日)
          9時00分〜17時30分(9月1日〜10月15日)
          9時00分〜16時30分(10月16日〜3月15日)
  ■休館日:なし(年中無休)
  ■入場料:大人(16歳以上)200円、16歳〜4歳100円

 ロープウェー
  ■片道:大人600円 小人280円
  ■往復:大人1050円 小人520円

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麓の岐阜公園には、信長居館跡があります。
ロープウェイ乗り場のお土産屋を物色したのち犬山城へ向かいます。

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なかなか趣きのあるシブさを感じる国宝城郭・犬山城
つい2年前(平成16年4月)まで個人所有(元和三年(1617年)に成瀬正成が城主となって以来、成瀬氏が代々城主を務めてきた)であったというのが驚きです。

別名白帝城と呼ばれています。白帝城三国志においては劉備が死んだ城としてちょいと有名ですが、まさにその白帝城に名前の由来があるらしい。命名は荻生徂徠とのこと。

次は小牧山へと。
信長没後のストーリーで、光秀を討ち、勝家を自刃せしめた賤ヶ岳(2003年・夏 北陸方面篇、2005年・夏 山陰方面篇をご期待下さい。)から小牧・長久手の戦いへと続き、秀吉vs家康の舞台となったのであります。
織田信雄の要請を受けた家康がこの小牧山に陣を置き、先ほどの犬山城には秀吉側に転向した池田恒興親子と森長可が入っております。
しかし、池田父子ら立案の岡崎奇襲作戦決行によって、戦場が動き始め最終的には長久手での池田恒興親子や森長可の戦死、秀吉方の敗北となります。

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麓に市役所があり、市役所側から登っていくと手すりつきの強襲ルートがあったので一気に山頂の歴史館へ。

 小牧市歴史館
  ■開館時間:9時00分〜16時30分
  ■休館日:木曜日(当日が祝日のときは、その翌日)
         年末年始(12月29日から1月3日迄)
  ■入館料:大人100円、中学生以下30円

小牧・長久手の戦は戦場が広かったので、関連する場所が付近にいろいろあるのですが、時間との相談もあり、そろそろ地元に帰るかなーとの思案も出てきて帰途につくことに。とりあえず地図で温泉マークを探して(どこか忘れました。。)温泉に入り、三度長篠鳳来三河三石)へ。

振り返ってみると、この第三回ではなかなか行動範囲が広かったわけですが、一人旅行は一人旅行で、地図を確認するのは面倒だけどなかなかいいもんだなーということ、そして五日間のめまぐるしい記憶を振り返りつつ、またも次回の道程を思案しておるのでした。。



第四回目 北東北編へつづく・・・




  
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