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まえがき
2003年夏。
行ったことがないからという理由で北陸地方へ。
時間が許せばどこまでも行きたいのですが今回の時間制限は5日間。
とりあえず目標としては福井県。
朝倉氏の居館跡、
一乗谷
です。
あとは途中で金沢寄ったりしたいなと。
この回も一人旅行なので気楽に行きます。
それでは北陸に向けて出発。
第五回目の重点ポイント
〜一日目〜 山形(米沢:堂森善光寺、林泉寺、上杉博物館、上杉神社)→新潟→富山(ウェーブパークなめりかわ(道の駅)
)
朝九時に地元(仙台近郊)を出発し、奥羽山脈を越えて十一時過ぎに米沢到着。
まずは堂森の
善光寺
、
前田慶次
供養塔を訪れてから裏の
慶次清水
の辺りを散策。
森林浴。
その後
林泉寺
に寄って
直江兼続
夫妻の墓にも参ってから、
上杉神社
前で米沢らーめん。
前年の
上杉祭り
の時には入らなかったので上杉博物館に入ってみる。
そこでなんと!!
前田慶次道中日記
(市立米沢図書館発行)をゲット!!!2,200円也。
その他、
直江兼続
公をNHK大河ドラマに推進する会発行の直江本もゲット。こちらは200円。
(※今となっては当に現実となりました。おめでとうございます。)
もうひとつ、米沢観光協会発行の米沢浪漫なる観光ガイドブック。1,000円也。
上杉家から米沢市へ寄贈された国宝、
上杉本洛中洛外図屏風
や、
上杉神社
稽照殿の宝物、宮坂考古館の
前田慶次
の具足(あの、いかにも傾奇者が着用する感じがするやつです)等、米沢のお宝が載っております。
米沢市上杉博物館(伝国の杜)
■開館時間:9時00分〜17時(最終入館は16時30分迄)
■休館日:4〜11月 第4水曜日
12〜3月 月曜日(月曜日が休日の場合はその直後の平日)
年末年始(12/29〜1/3)
■入館料:一般:400円、高・大生:200円、小・中生:100円
上杉神社
にも参詣して史苑で一服したら、あとはひたすら走るのみ。
113号線廻りで新潟入り、海沿いの409号線を通って上越から富山の滑川まで。
途中、柏崎の塩の温泉(つまり海水)に入る。
19時半頃のこと。
この塩の温泉は、以前に上越
春日山城
に行った際に通りかかって覚えていたのです。
ひたすら走るだけなので、どこまで行くかは時間次第なのですが、大分夜も遅くなっていたのでとりあえずウェーブパークなめりかわの道の駅で就寝。
〜ニ日目〜 富山(ウェーブパークなめりかわ(道の駅)→松倉城址→日石寺→富山城址→高岡城)→石川(七尾→末森城址→白山)
寝床の道の駅を出発してまずは付近にある
松倉城
址へ向かう。
松倉城
は戦国期は椎名氏の居城として知られております。
余り前調べせずにふらっと来たもので、まずスケールの大きい山城であり、遺構として見どころが多いことにちょっと困ってしまいました。
『松倉城は、標高約四百三十メートルの城山に築かれた山城で、山頂部には空掘で区切られた五つの曲輪が南北に並び、その周辺部には多数の平坦地や空掘などが設けられており、長さが一キロメートルにも及ぶ巨大な城郭である。松倉城跡の周囲には支城や砦跡と考えられる遺構が十数箇所発見されており、越中で最大規模といわれている。築城は南北朝の十四世紀前半と推定され、幾多の武将がこの城をめぐって戦をくり返した。戦国末期には椎名氏の居城となったが、越後の上杉氏によって攻め落とされ、魚津城が新川地方の中心となってからは、政治的、軍事的役割は低下した。松倉城の繁栄は、背後にひかえる松倉金山の経済力が大きかったと考えられている。』
(※松倉城跡看板より)
そして次に大岩
日石寺
に向かうのですが、その途中でなんだか不穏な雰囲気をたたえる場所を通る。
一通じゃないのに一車線分しかないトンネルで、しかもトンネル内は傾斜になってます。
そして暗い。
トンネルの出口が見えない。
トンネルの出口はカーブになってて、そのまま突っ走るとガードレール激突するところ。
おかしいところだなー。
と思ってあとから調べたところ、やはり心霊スポットだったらしい。
そして中新川郡上市町にある大岩
日石寺
へ。
まず入り口にある地蔵から流れる滝からいかにもマイナスイオンが発生している。
日石寺
の本尊は
行基
が彫ったと伝えられているらしい高さ6m、幅10mの
磨崖仏
です。
解説では日本でも最大級とのこと。
とても大きいです。すごすぎる。
磨崖仏
を囲うように本堂が建てられており、中に入ると薄暗い空間の先に岩肌が。
岩に彫られた不動明王です。
なにか聞こえると思ったら後でお経を唱えている老人が。。
そしていかにも
卜占
に使われそうな石。
雲蓋石
、
天蓋石
といわれるらしい。
また、
日石寺
には
愛染明王
を奉った愛染堂なるお堂や、千社札が沢山貼ってあり、多少萎える感じがとてももったいない三重塔もあります。
目に良いらしい水を飲んで力を蓄え
富山城
へ向かいます。
富山城
は
佐々成政
の居城としてのイメージが強いです。
現在は市の中心、
富山城
址公園となっています。
模擬天守ですが、この時(2003年夏)は二年後まで立ち入り禁止状態との事でした。
※2004年に国の登録有形文化財に登録されたとのこと。
城内の公園には
佐々成政
の歌碑があります。
『何事もかはりはてたる世の中に知らでや雪の白くふるらん』
なんというか、成政の悲哀がひしひしと感じられます。ノスタルジーの極みです。
泣きそうになる。。
忠節という物指しで見れば決して間違ってはいないと思うけれども、まさに移り行く世の中で自分の身の置き方というものを見誤ったのか。。
プライドを持つものであればこそ、同輩である
前田利家
の振る舞いについても許せないという気持ちがあったのではないでしょうか。
真冬に極寒の山中を越えて浜松まで至ったという、いわゆる「ざらざら越え」の逸話にしても、不器用だけれど信念に生きる男の様というものを感じずにはおれません。
『天文十二年(1543年)越中守護代神保氏が重臣水越勝重に命じ築城させたといわれる。その後神保長職・上杉謙信等の攻防の拠点となった。天正九年(1581年)に入城した佐々成政が豊臣秀吉に敗れたのち、天正十八年(1590年)頃に加賀前田家の持城となる。寛永十六年(1639年)加賀藩三代藩主前田利常の次男・利次は、十万石を分与され富山城に入城、初代富山藩主となり、以後232年間富山藩主前田家十三代の居城であった。』
(※富山城看板より)
施設関係は入れなかったために、
高岡城
へ向かう。
富山市から西に真っ直ぐ進めば高岡市です。
高岡城
は1609年、
前田利長
の時代に
富山城
が大火で焼失したことによって建設されました。
縄張りは
高山右近
が行ったということです。
現在は高岡古城公園となっており、憩いの場となっているようでした。
公園内には
鯰尾形兜
が目を引く
前田利長
公銅像があります。
園内散歩して和んだら、能登半島を東から北上しながら七尾へ向かう。
海沿い走行中。
七尾の観光物産市場に到着し、市場内で昼食。
その後
七尾城
址へ。
七尾城
は
室町時代
より七尾を治めた畠山氏の城です。
1577年に
上杉謙信
率いる軍勢が包囲した際、畠山家臣団の分裂もあり攻め落とされるのですが
七尾城
を得た
上杉謙信
は、眼下に能登の景観を目の当たりにしながら遠征成功の充実感を作詩(九月十三夜陣中作)したといわれております。
七尾城
の遺構は現在までに荒らされることがなかったらしく、かなり保存状態良好です。
とにかく石垣に感動。
七尾城
資料館があったのですが、月曜日ということで定休。。
資料館等は当然ながら土日のほうが来客が多いため、月曜定休のところは非常に多いです。
旅行する側としては月曜は移動日に充てるのがセオリーですな。。
本丸付近まで一気に車で移動し、本丸付近の観測のみで退散。
続いて、
末森城
址へ。
末森城
は、
前田利家
と
佐々成政
の戦いの舞台となった場所です。
羽柴秀吉
と
徳川家康
による
小牧・長久手の戦い
が尾張にて勃発した頃、反秀吉を掲げる
佐々成政
が、秀吉に従う
前田利家
の所有する
末森城
を攻めたわけです。
しかし、
奥村永福
(
奥村助右衛門
です)の奮闘と前田軍の救援により、成政は包囲を解き撤退せざるを得なくなります。
平成14年のNHK大河ドラマ「
利家とまつ
」の放映を機に、末森合戦戦死者千五百名の慰霊碑が建てられた模様。
末森城
は、今はちょっと分かりませんが2003年当時は道も未整備でしたのでひたすら傾斜を登っていきます。
頂上に本丸跡が。
日も暮れて来たところで、
金沢城
下の温泉へ。
ぬめり気のある茶色の鉱泉である。
金沢城
、
兼六園
の駐車場を確認して、
金沢城
から二十キロくらい離れた白山の道の駅で就寝。
〜三日目〜 石川(白山→金沢→手取川→那谷寺→大聖寺城)→福井(三国)
三日目は白山の道の駅で少々寝過ごしてしまい、気づけばもうお昼前。
急いで金沢へ。
まずは前田家廟所(野田山墓地)へ向かう。
野田山は山全体が大きな墓地となっており、一般の墓地ともなっているようです。
夏場ですのでしょうがないのですが、肌の露出が多いところを蚊の軍勢に容赦なく攻めたてられます。利家の軍勢か。
前田利家
、
前田まつ
(
芳春院
)、
前田利久
(
前田慶次
の養父)、
前田利長
等の墓があります。
野田山墓地をもう少し見たいと思ったのだけれど、痒みに勝てずに退散して薬局へ。痒み止め購入。
その後
兼六園
。
「兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園である。金沢城に面した傾斜地に五代藩主綱紀が延宝4年(1676)、別荘「蓮池御亭」を建て、その庭を蓮池亭と呼んだ。これが本園の始まりといわれている。〜中略〜園名は、文政5年、白河楽翁公により、「宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望」の六勝を兼備することから、兼六園と命名された。」
(※兼六園入場券の説明より)
六勝を兼備するから
兼六園
と。
バラエティに富んでるというか、いろいろな景観が豊富な印象。良い良い。
兼六園
■開館時間:7時00分〜18時(3/1〜10/15)
8時00分〜16時30分(10/16〜2/末日)
■入園料:大人:300円、小人:100円
兼六園
の向かいに
金沢城
。
金沢城石川門
の手前、道路沿いにちょっとした休憩所のようになっているスペースに金の
鯰尾形兜
姿の
前田利家
銅像が。
金沢城
は建造年代が異なる石垣が随所に残っております。
主要な積み方としては「
野面積み
」「
打ち込みハギ積み
」「
切り込みハギ積み
」の3種類。
年代としては利家時代(1592年頃)に改修した野面積みのものからあります。
また、本丸跡は森のようになっており、利家死後の落雷による焼失以来復元されていないとのこと。
金沢は、以来二の丸中心で政事が行われたらしいです。
また、菱櫓・五十間長屋の復元は今の技術で細部まで分かりやすく復元されており、なかなか面白いです。
金沢城公園菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓
■開館時間:7時00分〜18時(3/1〜10/15)
8時00分〜16時30分(10/16〜2/末日)
■菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓:大人:300円、小人:100円
※金沢城公園入園は無料
金沢城
を出て国道8号線を南西方面へ進む。
途中、手取川にて1枚。
古戦場の場所はちょっと分からなかったのですが、大分河口近くで潮の香り漂いますです。
続いては小松にある
那谷寺
へ。
真言密教系の寺院ですが、前田家の3代目、加賀藩主・
前田利常
がかなり寄進したようです。
実際に利常はここに住んでいたこともあったそうで、専用の座敷もありました。
庭園には奇岩遊仙境と名付けられておる場所があり、観音浄土・補陀洛山の景観とはこういったものであろうという想像を掻き立てる、実に奇妙かつ興味深いものでした。
その他自然石を巧みに配して寺の施設と一体化しているところ等、正直言って個人的な感動は
兼六園
を上まわっております。
松尾芭蕉
も奥の細道の道中でこの奇岩を望み”石山の 石より白し 秋の風”といった俳諧を残しているという。
参道は地元の松島・
瑞巌寺
に多少似ているように思いました。
那谷寺
の景観に満足して
大聖寺城
へ。
大聖寺城
は加賀、越前の境に位置する城として年代により様々な勢力の有するところとなっており、一時は朝倉の英雄・
朝倉宗滴
にも攻め落とされ一揆勢と対峙する前線基地ともなっている。
関ヶ原
後は前田家支藩(
大聖寺藩
)が領有しました。
大聖寺城
は現在公園(錦城山公園)となっておるのですが、あまり手を入れてない分遺構は良く残っております。
麓にのみ遊具等があった記憶があります。
駆け登ってみるも周囲の木々が光を遮り、さながら心霊スポットの写真のようになっておる。
麓に下りてくると雨も降り出し薄暗いというので宿探しに移行。
東尋坊
付近の芦原温泉街へ行ってみるが、あまりにも温泉ホテルだった為、越前浜沿いに南下して小さな佐野温泉というところへ(アロエ温泉)。
近隣老人方の憩いのお風呂であった。
東尋坊
より南にある三国の道の駅で就寝。
〜四日目〜 福井(みくに(道の駅)→東尋坊→丸岡→福井→一乗谷)→滋賀(湖北みずどりステーション(道の駅))
朝の
東尋坊
はまだそんなに人出も多くなく、しばし散歩。
東尋坊
の岩はマグマが固まったものらしいです。
また、東尋坊という名称の由来は、東尋坊という名の悪僧がこの場所から突き落とされたことに発するそうです。
本当はもっと沢山絶景スポットがあるそうなのですが、時間の都合上退散。
東尋坊
からほど近く、北側に位置する雄島という島があります。
この雄島に行くにあたっては、海岸から島まで渡してある赤い橋を徒歩で行くのですが、到着してから島を周るにあたり、右、左のどちらから周るか順路が決まっているのだそうです。
この順路が重要で、逆に進むと霊界へと行ってしまうという。
また、身投げした人の遺体が雄島に流れ着くというはなしもある。
諸星大二郎
の作品「鏡島」の内容を読むと、なんとなくエッセンスが入ってそうな感じがしたので興味があったのですが結局行かず。
東尋坊
を後にして丸岡へ向かう。
天正3年(1575年)、
織田信長
は北陸方面の
一向一揆
討伐を成し遂げます。
そしてその後の北陸・越後方面に当たる要として越前
北ノ庄
に城を築き、
柴田勝家
を中心とする北陸方面軍を編成。
その翌年、
柴田勝家
の甥である
柴田勝豊
が築いた城が
丸岡城
です。
丸岡城
は日本に現存する天守閣の中で、最も古いものであります!!!
質素だが成る程古そうな感じ。
しかし、2003年7月当時は補修中工事中でした。
遺構としては本丸、石垣が残っています。特徴としては屋根が全部石瓦葺きであることが非常に稀であるらしい。
(※
丸岡城
の写真記録が紛失してしまいました。。残念。)
資料館には昔の将棋セット。
王将がとられても太子というコマが替わりに指揮をとる。等。
また、天守閣石垣の傍らに
本多作左衛門重次
が陣中から妻にあてた一筆啓上の書簡碑があります。
「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」
文中のお仙というのが
本多重次
の嫡子・
本多成重
(
結城秀康
が
福井城
主の頃、
丸岡城
主となる)のことであります。
(※丸岡城パンフレットより)
越前丸岡城・歴史民俗資料館
■入場券:100円
丸岡から福井県庁へ。
福井城
は
柴田勝家
が築城した
北ノ庄城
跡に建てられたといわれており、現在は本丸跡に県庁が入っております。
成る程県職員が沢山居ります。
写真は天守閣跡と
福の井
。
県庁の裏手に天主跡と、この井戸があります。
この井戸は福の井と称せられ、
結城秀康
の
福井城
建築以前から存在していたといわれ、
北ノ庄
から福井に改称した由来となっていると伝えられております。
福井城
本丸に入ると
結城秀康
騎馬像があります。(※写真紛失。。)
また、周囲の石垣には、「石垣登らないで」と書かれてます。
県庁を後にし、
一乗谷
へ。
一乗谷
館へ向かう途中に資料館を発見。
周囲には、旅館、ドライブイン等、この近辺は全て朝倉氏一色です。
資料館は
一乗谷館
発掘の出土品が展示されております。
朝倉氏遺跡は昭和に入ってからの発掘で
一乗谷館
跡が発掘されたそうで、現在も周辺地域は発掘中のようです。
また、丁度訪れた際に、戦国時代内と外、と題して「越前朝倉氏とその時代の対外交流」という企画展をやっていました。
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
■開館時間:9時00分〜17時(最終入館は16時30分迄)
■休館日:月曜日(ただし祝祭日、振替休日にあたる場合は開館)
年末年始(12月28日〜1月4日)
■入館料:一般:100円、高校生以下と70歳以上は無料
資料館をあとにして
一乗谷館
跡へ向かいます。
館の後方に、山城の遺構が良く残っているということでしたが、なかなか険しいというはなしもあったので、今回は断念することに・・・ということで館跡と庭園跡のみで退散。
付近(武家屋敷の復元町並)にある休憩所にて、越前名物らしい朝倉おろしそば。400円也。
一乗谷朝倉氏遺跡復元町並
■開館時間:9時00分〜17時(最終入館は16時30分迄)
■休館日:年末年始
■入館料:一般:200円
また、更に山の方に進むと
佐々木小次郎
が修行して燕返しを編み出したという
一乗滝
があるらしいので行ってみる。
落差は12メートルとのことでなかなかです。
元々、
佐々木小次郎
はこの辺りで育ったらしく、修行した道場が今でも残っている。
マイナスイオン。
滝で修行した気になってから福井中心部へ戻る。
そして若狭湾沿い八号線から滋賀入り。
賤ヶ岳
まで。
賤ヶ岳
入り口まで行ってみるも、もう17時ぎりぎりだったのでリフトも終了時間です。
七本槍
の旗指物が沢山ささっているのを見て、あとは温泉探し。
浅井長政
の
小谷城
ふもとにある温泉。1000円。
お市
の方(戦国随一の美女)も入りましたというのが文句です。
琵琶湖のほとり、湖北みずどりステーションの道の駅で就寝。
〜五日目〜 滋賀((湖北みずどりステーション(道の駅)→長浜城→彦根城→安土城)→岐阜(関ヶ原)→滋賀(姉川古戦場→小谷城)→石川(いおり(道の駅))
パチンコの開店待ちのように
長浜城
周辺で時間を潰す。
長浜城
は
豊臣秀吉
の出世城として知られております。
浅井家滅亡後、浅井の旧領の多くを与えられた秀吉は領国経営に重点を置き、琵琶湖の水運を活かすことのできる今浜に築城しました。そして地名を今浜から長浜と改めます。そして約10年在城したのち、天正10年(1582年)清洲会議にて柴田勝家に譲られ、甥の柴田勝豊が入城しますがその年のうちに秀吉は勝豊を攻めふたたび奪取し、翌年の柴田勝家との賤ヶ岳合戦の軍事拠点としております。その後、慶長11年(1606年)には徳川家康の異母弟内藤信成が城主となり大修築を行い、6年後の慶長17年(1612年)には内藤信成の子・信正が城主となりますが元和元年(1615年)の摂津高槻城への移封により、長浜城は湖北支配の役割を彦根城に譲るかたちで使命を終え廃城となります。石垣や櫓材などは彦根城などに運ばれ、長浜城は完全に失われます。
(※市立長浜城歴史博物館パンフレットより)
現在の
長浜城
は昭和58年に建てられ、市立
長浜城
歴史博物館となっています。
琵琶湖のほとりです。
付近には
太閤秀吉
像も建っておる。
市立長浜城歴史博物館
■開館時間:9時00分〜17時(最終入館は16時30分迄)
■休館日:年末年始(12月27日〜1月2日)
■入館料:大人(高校生以上):400円、小・中学生:100円
長浜城
歴史博物館にて、博物館発行の
石田三成
展覧会資料を購入し、
彦根城
へ。
彦根城
は現在ではキャラクター等による観光PRによって全国的に有名でありますが、ネコがいない当時からも資料等の見せ方等、なかなか洗練された感がありました。
立派ですし。
その分料金も結構高めかもしれませんが、能から茶の湯といった文化までいろいろ勉強できます。
景観は櫓から庭園から素晴らしく良いです。
特に庭園の
玄宮園
は非常に良かった。
彦根城博物館(常設展料金)
■開館時間:8時30分〜17時(最終入館は16時30分迄)
■休館日:年末年始(12月25日〜12月31日)
■入館料:一般:500円、小・中学生:250円
彦根城博物館(企画展料金)
■入館料:一般:1000円、小・中学生:500円
彦根城博物館・彦根城・玄宮園のセット券
■入館料:一般:900円、小・中学生:350円
彦根城
から琵琶湖づたいに
安土城
址へ向かう。
2003年夏の当時、
安土城
は大手門が丁度工事中(こういうのにぶち当たるのが多いです)。
ブルーシートで化粧されてました。
というわけで西側に周り、
百々橋口
からの登城です。
元々総石垣だったということで、普通の山城より登城が楽かも・・などと思っていたのですが実際はそうでもなく、、覇王の威勢を示す城だけのことはありますな。
石積みが大きいのも登るには結構疲れますねと。
百々橋口
から登城しますと、
織田信長
が
安土城
内に建てた
ハ見寺
を巡るルートとなります。
ハ見寺
の仁王門や三重塔を通りながら天主を目指します。
二ノ丸付近まで石段を登っていきますと
織田信澄
、
森蘭丸
の邸跡が。
また禁立入の
織田信長
廟もあります。
六角形で5重6階地下1階と云われる天主があったところです。
天守閣址に上がってみると、確かに変形の奇妙な多面形の窪みになっておりました。
大手門側は作業中っぽかったのでそのまま同じルートで降りて(大手門側ルートの途中には
羽柴秀吉
邸跡があります。)付近にある信長の館、
安土城
考古博物館へ。
信長の館には復元された天主が館内にあります。豪奢な感じ。
滋賀県立安土城考古博物館
■開館時間:9時30分〜17時(最終入館は16時30分迄)
■休館日:年末年始(12月28日〜1月4日)
月曜日(祝日の場合除く)
祝日の翌日(土日の場合除く)
■入館料(常設展示):大人:300円、学生:250円、小人:150円
安土城天主 信長の館
■開館時間:9時〜17時(最終入館は16時30分迄)
■休館日:年末年始(12月28日〜1月4日)
月曜日(祝日の場合除く)
祝日の翌日(土日の場合除く)
■入館料:大人:500円、学生:300円、小人:150円
※考古博物館と信長の館の共通券があります。
付近にある
観音寺城
址は思い切ってスルーし、とって返してまた琵琶湖沿いを北上。
関ヶ原
へ向かう。
もう、この辺からあせりまくってちょっと行動が分け分からなくなってます。
とりあえず国道沿いにあった
佐和山
パークだかを発見し、気にしながらも
関ヶ原
歴史民俗資料館。
ここには旗指物や兜のレプリカがあってなかなか熱くさせてくれます。
関ヶ原町歴史民俗資料館
■開館時間:9時〜16時30分(4月〜10月)
9時〜16時(11月〜3月)
■休館日:年末年始(12月29日〜1月3日)
月曜日、祝祭日の翌日
■入館料:大人:310円、小中学生:100円
一通り鑑賞し、付近にあるスポットは無視してまた琵琶湖周辺に戻り、
姉川古戦場
へ 。
看板は姉川沿い、田んぼの中にありますがあまり人が訪れている様子もなく、クモの巣に引っかかりました。
そこからまた急ぎで
小谷城
へ。
※退き陣なのであたふたしております
ばっちり指が写りこんでますが、こちらは金吾丸脇。
六角定頼
の来攻に際し、越前より
朝倉教景
(宗滴)が来援し陣所とした場所です。
なんとたのもしい。
小谷城
は結構な高さまで車で登ることが出来ます。
カモシカには遭遇せず。
※小谷山にはカモシカが生息していますが熊と間違えやすいのでご注意ください
本丸まで登ったところで5時くらいだったので退散。
ここからはもう国道8号線沿いにひたすら北上し、お風呂探しです。
一乗谷
付近まで戻ったところで入浴。
一般開放タイプ。
その後もどこまで戻れるかとりあえず北上。
あ、一応もう帰途です。
能登みやげを買い忘れたので結局七尾まで、深夜到着。
いつも思うことですが、、旅は徒然ですね。
予定通りに行くことなんてありません。
それがまた面白いのですが。
スポットにしても1回行ったくらいでは全然分かりませんしね。
そのあと2日かけて宮城に戻りです。
次回、第六回は2004年春の紀州巡りをご期待ください。
第六回 紀州巡り へ続きます。
ご意見・ご感想は
matsukaze@matsukazedo.com
、または
御連絡フォーム
よりお願い致します。